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大分地方裁判所 昭和63年(ワ)68号 判決 1995年9月26日

原告

佐藤恵介

右法定代理人親権者父

佐藤忠雄

右法定代理人親権者母

佐藤ひとみ

右訴訟代理人弁護士

德田靖之

右訴訟復代理人弁護士

工藤隆

荷宮由信

被告

右代表者法務大臣

田沢智治

右指定代理人

富田善範

外一〇名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

被告は原告に対し、金四五四五万五二三〇円及び内金四二四五万五二三〇円に対する昭和六一年二月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告の設置する大分医科大学附属病院(以下「本件病院」という。)で出生した原告が、分娩を担当した医師の過失により右腕麻痺の後遺障害を受けたとして、その使用者である被告に対し、民法七一五条に基づく損害賠償を求めたものである。

一  争いのない事実

1  原告は、昭和六一年一月一〇日、佐藤ひとみ(以下「ひとみ」という。)の第二子として出生した。

2  被告は、本件病院の設置者であり、医師日野修一郎(以下「日野医師」という。)及び同松岡良(以下「松岡医師」という。)の使用者である。

3  ひとみは、昭和六〇年五月一七日、本件病院の産婦人科を受診し、妊娠(分娩予定日は昭和六一年一月四日)と診断された。その後の経過は順調であったが、切迫早産のため昭和六〇年一一月一二日から同年一二月一三日までの間、同科に入院して、薬物療法と安静保持の治療を受けた。

4  ひとみは、昭和六一年一月一〇日午前七時五〇分、陣痛が始まったとの訴えにより、右産婦人科を受診して入院した。その際、前日からの当直医である手島医師及び宮村研二医師が診察し、同日午前九時一〇分ころ、日野医師に引き継いだ。

5  日野医師は、ひとみに対して経膣分娩を実施したが、胎児仮死の状態となったため、早急に遂娩させる必要があると判断し、松岡医師らの応援を求めた上で、鉗子分娩を実施した。その際、会陰切開を行うとともに、肩胛解出術及びクリステレル娩出術を併用して、同日午前一一時四〇分、原告を仮死状態で娩出させた。

6  分娩時の原告の体重は四二五七gであり、いわゆる巨大児(出生時の体重が四〇〇〇g以上の児)であった。原告は、蘇生術によってまもなく回復したが、脊髄神経根の引抜損傷による右腕神経叢麻痺(全型)(以下「本件分娩麻痺」という。)とホルネル症候群(瞳孔の縮小、眼瞼の狭小、眼球の後退の三徴を主徴候とする症候群)の後遺障害が残った。

7  肩胛難産の概念及び発生機序

肩胛難産は、肩の娩出困難あるいは肩の嵌合ともいわれ、頭位分娩の場合に、児頭が娩出しながら、児の肩胛以下が産道内に停滞して娩出が困難となることを意味する。肩胛難産は、児全体が大きい上、児の肩胛以下が著明に発達して児頭より大きい場合に典型的に見られる。児の体重が増加するにつれて、児頭周囲より児の肩胛周囲が大きく比率が高まるため、いわゆる巨大児において発生しやすいとされる。肩胛以下の娩出困難を生じるのは、児の肩胛が母体の骨盤入口部の前後径に一致し、前在肩胛(母体の前面側にある肩胛)が骨盤恥骨結合上に、後在肩胛(母体の後面側にある肩胛)が骨盤の岬角の高さに固定停留されるためである。

二  争点

1  日野医師による鉗子分娩術及び松岡医師による肩胛解出術と本件分娩麻痺との因果関係の存否

(原告の主張)

(一) 本件分娩麻痺が生じた原因は、日野医師による鉗子分娩術施行時の児頭の牽引によるものか、あるいは、松岡医師による肩胛解出術施行時の児頭の圧下によるもののいずれかである。なお、本件では、肩胛難産は認められず、仮に存在したとしても軽微なものであった。

(二) 鉗子分娩術施行時の児頭の牽引による場合

日野医師は、原告の矢状縫合(左右頭頂骨間を前後方向に走る間隙)が斜(大泉門が八時の位置、小泉門が二時の位置)の時点で、鉗子を矢状縫合に直角ではなく、骨盤横径に直角に装置した状態で、ネーゲル鉗子を用いて回旋を加えないまま強い力でIの方向(下方)へ牽引した。そのため、原告の前在肩胛が骨盤入口部(面)を通過できずに固定された状態で、児頭が下方に牽引されて頚部に過伸展を生じ、その結果、脊髄神経根の引抜損傷による腕神経叢麻痺が発生した。

(三) 肩胛解出術施行時の児頭の圧下による場合

松岡医師は、児頭を強く後方へ圧下し、そのため、原告の頸部を原告の側から見て左方向へ強力に伸展させる力が働き、その結果、前在肩胛が解出されたものの、本件分娩麻痺が生じた。

(被告の主張)

(一) 日野医師による鉗子分娩術について

原告の矢状縫合の向きは原告主張のとおりであるが、鉗子を骨盤横径に直角に装着したとする点は誤りである。日野医師は、鉗子の左葉を三時ないし四時の方向に、右葉を九時ないし一〇時の方向に装着した。そして、日野医師は、鉗子牽引時に能動的な回旋は加えていないが、産道に沿った鉗子の牽引とクリステレルによる圧出により、自然と回旋が行われた。したがって、原告の頚部が特に左方に伸展されることはなかった。また、日野医師が、鉗子を強く牽引した事実はない。さらに、鉗子分娩によって神経叢麻痺が生ずるのは、鉗子による圧迫による損傷が原因であって、牽引による過伸展が原因となることはない。本件においては、鉗子圧痕がなかったが、これは、鉗子による神経叢の圧傷がなく、また過度の牽引もなかったことを示している。

(二) 松岡医師による肩胛解出術について

本件分娩麻痺は、児頭娩出後、極めて重度の肩胛難産が発生したために肩胛解出を行った際、頚部に不測の力(その程度は不明であるが、本件の肩胛解出に必要な程度の力)が加わって過伸展となった結果生じたものである。もっとも、本件では、複数の医師(日野医師・松岡医師・貞永医師)及び助産婦が直接出産の介助に当たっていたため、誰が右のような力を加えたかについて、これを特定することは困難であり、松岡医師の肩胛解出術施行の際に本件分娩麻痺が生じたとする確たる証拠はない。

2  日野医師の診療行為における過失の有無

(原告の主張)

(一) 巨大児の可能性が予測される事例で、分娩第二期(子宮口全開大から胎児の娩出完了まで)が遷延している場合に、骨盤中位で鉗子分娩を施行することは、肩胛難産を最も発生させやすくする要因である(分娩第二期の遷延だけを巨大児の問題と切り離して肩胛難産の独立の要因として主張するものではない。)。

(二) また、鉗子分娩には要約が厳しく定められており、実施するに当たって絶対に遵守されるべき産科的条件として、その一つでも満たされていないときは、鉗子分娩術は絶対禁忌とされている。その要約の中でも重視されているのが、鉗子適位にあること、つまり、児頭が骨盤出口部まで下降し、矢状縫合が骨盤縦径に一致していることである。そして、一般に、児頭の位置が高いほど、技術的難度と母児損傷の危険性が高くなるとされている。また、矢状縫合が骨盤縦径に一致していない場合には、鉗子の両葉が矢状縫合に垂直に児頭を把持できるよう挿入後に各葉を回旋し、さらに、牽引時には回旋を加えながら牽引するといった技術的に高度な操作が要請されることになる。したがって、鉗子適位にない場合の鉗子分娩術の施行は禁忌とされている。

(三) 本件では、児頭の最大周囲は骨盤闊部、先進部分はステーション(坐骨棘を直線で結ぶ線を基準とする児頭の下降度)プラス一前後にとどまっていた上、矢状縫合が骨盤斜径に一致していたのであるから、一般的に、鉗子分娩(特にネーゲル鉗子を用いての回旋を加えずに行う鉗子分娩)の実施は危険を伴うものであって、回避すべきであり、しかも、超音波計測、子宮底長、腹囲、母体の体重の急激な増加、糖代謝の異常等の所見を総合考慮すれば、原告が四〇〇〇gを超える巨大児である可能性は予見でき(このような場合には、鉗子分娩は禁忌とされる。)、さらに、分娩第二期が一時間半以上を経過して遷延し(分娩遷延とは、何らかの要因によって分娩の進行が阻害されており、その要因の解明と今後の事態の推移の慎重な観察とが要求される状態であり、経産婦においては、子宮口全開大後一時間以上が経過した場合である。)、分娩停止と解される状況にあったものである。右のような状況にある場合、分娩介助にあたる産科医としては、鉗子分娩術を実施すれば、鉗子の牽引によって児頭の過伸展を生じるか、あるいは、児を肩胛難産に陥らせて、その解出の際の圧下による児頭の過伸展を生じることによって、児に対し神経叢麻痺の障害を負わせることを予見すべきである。したがって、日野医師は、遅くとも胎児仮死が明確に認められた午前一一時二八分ころまでの間に、帝王切開術による分娩を選択するか、あるいは、闊部(中位)鉗子に熟達した医師による鉗子分娩を選択すべき注意義務があった。

(四) しかるに、日野医師は、これらの注意義務に違反して、漫然と鉗子分娩を実施したものであり、その結果、原告に対し、鉗子の牽引による児頭の過伸展を生じさせ(一次的主張)、もしくは、肩胛難産を生じ、その解出のために児頭に強力な圧下を加えざるを得ない状態に陥らせて過伸展を生じさせ(二次的主張)、神経叢麻痺の後遺障害を負わせた。

(被告の主張)

(一) 肩胛難産の予測可能性について

(1) 巨大児の予測可能性について

原告は、肩胛難産の予測因子として巨大児(四〇〇〇g以上)であることを挙げているが、予測因子としての推定体重は、四〇〇〇g以上ではなく、四五〇〇g以上とすべきである。すなわち、四〇〇〇g以上の児であっても、肩胛難産が発生する確率は1.7%で、実際に分娩麻痺が生ずる重度の肩胛難産の確率はこれよりはるかに低い0.1%前後とされている上、分娩麻痺の多くは一年で消失するとされているのであるから、単に巨大児(四〇〇〇g以上)であることを肩胛難産の予測因子とすることは根拠がない。さらに、原告の出生時における体重が四〇〇〇g以上であるとは予測されておらず、ひとみに関する糖尿病その他の要素からも原告が巨大児であることを予見できる情報は事前に得られていなかった。また、ひとみは前回の分娩で三七〇〇gの女児を初産としては短時間に出産しており、産道にも異常がないと考えられていたから、仮に超音波計測値に基づく推定体重に誤差があったとして、原告の出生体重が四〇〇〇gを超えることがあったとしても、経膣分娩としては問題ないと考えられた。したがって、分娩第二期に入る以前においては、そもそも原告が巨大児であること、あるいは巨大児であることによる問題が生じることは予見できなかったから、帝王切開を選択したり、試験分娩を試みることは考えられず、分娩方式の選択の過失はなかった。

(2) 分娩第二期の遷延ないし分娩停止について

分娩第二期に入った段階では、分娩停止も分娩遷延も生じておらず、高度変動性徐脈が発生して胎児仮死の徴候が現れた午前一一時二八分ころまでは、CPD(児頭骨盤不均衡)や巨大児を予測させる徴候は発生しておらず、まして肩胛難産の発生をうかがわせる所見は存在しなかった。なお、仮に分娩第二期遷延後の中位からの鉗子分娩は肩胛難産発生の危険性が高いとしても、胎児仮死が発生するまでは、肩胛難産の発生をうかがわせる所見は全く認められず、胎児仮死が発生した以上は、胎児の救命を優先すべきであるから、帝王切開よりは鉗子分娩術の方が救命の確率が高かった。したがって、日野医師には急速遂娩方式選択の過失はなかった。

(3) 骨盤中位からの鉗子分娩について

骨盤中位からの鉗子分娩が肩胛難産のハイリスク因子となるという見解は、学会において確立した見解とはいい難い上、少なくとも巨大児、実質的には四五〇〇g以上の巨大児の出生が予測できる事案であることが前提となっているのであり、それを抜きにして骨盤中位からの鉗子分娩の危険性が論じられているのではない。本件の場合、原告の主張は、巨大児であることが予測され、かつ分娩第二期が遷延し、分娩停止と解される状態にあったことが前提となっているところ、右前提事実がなかったのであるから、原告の主張は失当である。

(二) 鉗子分娩の要約等について

(1) 原告は、児頭が骨盤濶部にあり、矢状縫合が斜の場合は鉗子分娩術が許されないと主張する。しかし、本件では、濶部でも峡部に近いものであったが、この点を禁忌とする文献は見当たらない。また、矢状縫合が斜の場合の困難性を述べている文献はあるが、矢状縫合が骨盤縦径に一致していることを要約としている文献は一つだけで、他の文献では触れられていない。実際の臨床上においても、矢状縫合の向きにかかわらず、骨盤横径に合わせて鉗子を装着する方法(骨盤装着法)も行われる。そして、本件では、児に鉗子圧痕や傷は生じていないから、矢状縫合が斜であることによる障害は何ら生じていない。したがって、これらの場合に鉗子分娩が許されないとする原告の主張は失当である。

(2) 原告は、日野医師が鉗子適位にない状況下で鉗子分娩術を施行したと主張するが、同医師が鉗子分娩術を施行した午前一一時三二分には、原告の児頭はステーションプラス二にあったから、鉗子適位(中位鉗子)にあった。

(3) 原告は、本件に鉗子分娩術を実施するには、キーランド鉗子を用いて回旋を加えながら行うべきであるとし、ネーゲル鉗子を用いて回旋を加えずに牽引したことを非難する。しかし、成書によれば、キーランド鉗子は回旋鉗子として使用することが記載されており、骨盤濶部にあるときに使用されるとの記載もあり、また、矢状縫合が横定位の場合にキーランド鉗子を用いることを前提とする記載はあるものの、中位鉗子の場合にネーゲル鉗子を禁忌とするものは見当たらない。実際には、術者自らの経験により使い慣れたものを用いるべきであるとされている。本件では、実質的には低位鉗子に近かったのであるから、キーランド鉗子を用いなかったことは特に非難するに値しない。さらに、日野医師は、鉗子牽引時に能動的な回旋は加えていないが、産道に沿っての鉗子の牽引とクリステレルによる圧出により、自然と回旋が行われたもので、正常な分娩であった。

(三) 胎児仮死と分娩方法選択について

胎児仮死が発生した時点では、鉗子分娩術の適応と要約を充たしている上、その段階で帝王切開術により分娩を行うためには、三〇分以上を要したから、原告を救命するためには、鉗子分娩術を選択するほかはなかった。

3  松岡医師の診療行為における過失の有無

(原告の主張)

(一) 本件で、仮に児頭の過伸展が鉗子の牽引によって生じたと認定される場合、または、松岡医師による肩胛解出術の実施が児の救命のためにやむを得ない措置であったと認められる場合には、前述のような状況で鉗子分娩を実施した日野医師の責任が問題となるのみである。しかし、本件において、肩胛難産が生じた段階で、ウッドのスクリューマヌーバーその他の肩胛解出術の実施が可能であり、これらの手順を経ていれば、原告の神経叢麻痺が回避できたという場合には、日野医師の前記過失と神経叢麻痺との間の因果関係は認められないことになり、これらの手順を経ることなく、児頭の強力な圧下を行った松岡医師の過失責任の問題となる。

(二) 肩胛難産の場合の娩出方法は、まず、児頭を後下方へと圧下させて前在肩胛の解出を図り、それが困難な場合には、膣内に指を挿入して肩胛部自体ないし腋窩を動かすことによって前在肩胛の解出を図るものである。その際に最も注意しなければならないのは分娩麻痺の発生である。なぜなら、分娩麻痒は、頭位分娩では、児頭娩出後、肩胛が恥骨にかかり、児頭が対側に強く牽引されたときに多いとされているからである。そこで、肩胛難産であると否とを問わず、前在肩胛が恥骨結合部下縁部にかかっている分娩が遷延する場合の娩出術の施行に際しては、分娩麻痺の発生を回避するため、児頭の圧下を強く行うことは禁じられている。したがって、本件肩胛解出術を施行した松岡医師としては、前在肩胛の娩出を図るための児頭の後方への圧下を強く行えば、頚部の過伸展を生じることによって、児に対し神経叢麻痺の障害を負わせるに至ることを予見すべきであったのであり、強い圧下を避けるべき注意義務があった。しかるに、松岡医師は、右注意義務に違反して、原告の頭部を強く後方へ圧下したものであり、その結果、原告に対し、頚部の過伸展を生じさせ、神経叢麻痺の後遺障害を負わせるに至った。

(三) 本件において、仮に胎児が仮死状態にあり、その救命を急ぐため、児頭を強く圧下せざるを得なかった場合であったとしても、松岡医師の行為が緊急避難に該当するとか、結果回避可能性がなかったとはいえない。なぜなら、児頭娩出後、児の前在肩胛が恥骨結合下縁に阻まれて娩出が遷延し、肩胛難産に陥った場合においても、その肩胛の解出方法にはいくつかの手順が定められており、そうした手順を無視し、いきなり児頭を強力に圧下することは許されないからである。すなわち、たとえ胎児が仮死状態にあった場合においても、まず、手順に従って児頭を抑制された強さで後方に圧下してみることが求められるのであり、その上で、効果がなかった場合に、スクリューマヌーバーその他の方法を試み、そうした方式のいずれもが効果のない場合に初めて、児頭の強力な圧下や鎖骨を骨折させての娩出が最後の手段として許されることになる。したがって、そうした手順が遵守されていない本件の場合に、緊急避難や不可抗力の主張が成立する余地はない。

(被告の主張)

(一) 松岡医師は、通常よりやや強い力で児頭を押し下げた程度で、本件分娩麻痺が発生するほどの強い力を加えてはいないが、仮に、松岡医師が原告の肩胛を解出した際に、本件分娩麻痺が生じたとしても、それは不可抗力であり、過失はなかったというべきである。すなわち、本件は極めて重度の肩胛難産であり、通常の方法や力では娩出不可能であった。児頭娩出後、躯幹が娩出できない状態では、臍帯からの血行が乏しい上に、児の自発呼吸も望めず、分娩経過中で最も危険な状態であるから、直ちに娩出させる必要がある。娩出が遅れると、児は死亡もしくは脳性麻痺の後遺障害を残す恐れがあり、その限界は数分間といわれている。そして、松岡医師が分娩室に駆けつけた時には、原告は、顔面の高度のうっ血と、口唇のチアノーゼが認められ、一刻の猶予もできないほど胎児仮死が進んでおり、娩出が数分遅れていれば脳性麻痺又は死亡に至ることが十分予想される状態にあった。このような状態では、救命及びより重篤な脳性麻痺等の障害を避けるために、一刻も早く原告を娩出する必要があった。

(二) また、松岡医師は可能な限り正当な手順を踏んで児を娩出させている。第一に、同医師は十分な会陰切開を指示し、また自らも行っている。第二に、同医師は最初から強力な児頭の圧下を行ったのではなく、最初は通常の肩胛解出術を行ったが効果がなかったのである。第三に、同医師は、児の腋窩に指を掛けて胎児を引き出す方法や、児を回旋させて娩出する方法を試みようとしたが、膣内に指を挿入することができなかったのである。第四に、同医師は、児頭をいったん子宮方向に押し戻し、恥骨結合と児頭との間に隙間を作り、そこに指を挿入してクリステレルを行ってもらい、前在肩胛を恥骨結合からずらし、その上で通常の肩胛解出術を行ったところ、前在肩胛が解出し、さらに躯幹全体が娩出されたのである。なお、前在肩胛が恥骨結合からずれた後、通常の肩胛解出を行う際に、通常よりやや強い力を加えたが、時間の経過及び児の状態から考えるとこれが最後の救命のチャンスと思われ、やむを得なかったものである。

4  損害(原告の主張)

(一) 逸失利益 三二四五万五二三〇円

原告は、右上腕神経叢の永久麻痺(全型)により、肘関節、手関節は全くその用を廃したものであり、肩関節も著しい機能障害を残している。その程度は、自賠法施行令二条の後遺障害等級表五級六号に相当し、労働能力の喪失率は七九パーセントである。これに、平成四年度賃金センサス全男子労働者の平均賃金(年間五四四万一四〇〇円)と、一八歳から六七歳までの稼働年数四九年間のライプニッツ係数7.55を適用すると、逸失利益は三二四五万五二三〇円となる。

(二) 慰謝料 一〇〇〇万円

原告の後遺障害による精神的損害は一〇〇〇万円が相当である。

(三) 弁護士費用 三〇〇万円

第三  争点に対する判断

一  日野医師による鉗子分娩術及び松岡医師による肩胛解出術と本件分娩麻痺との因果関係の存否について

1  前記争いがない事実に、証拠(甲二、乙二の13ないし16、25、三の5、一三、一四、一六、三一、証人日野修一郎、同宮村研二、同松岡良、同野﨑和代)によれば、以下の事実が認められる。

(一) ひとみは、四時〇〇分に陣痛発来してから五分毎に陣痛があり、五時三〇分には破水感があり、六時〇〇分からは陣痛が二分毎となり、七時五〇分に入院した。

(二) 八時〇〇分

右入院時において、ひとみの全身所見は、身長一五〇cm、体重61.8kg(非妊娠時体重五〇kg)、尿蛋白マイナス、尿糖マイナス、腹囲九九cm、子宮底三七cm、児心音一四〇/分で正常であり、内診所見は、子宮口開大四cm、頚管の展退度一〇〇%、矢状縫合九時〜三時(大泉門九時、小泉門三時)、先進部頭頂、産瘤プラス、ステーション・マイナス一、恥骨結合後面全触であり、入院時診断は、妊娠四〇週六日、頭頂、入口部固定、横、既破水(先進部が頭頂であり、児の最大周囲が骨盤入口部にあり、矢状縫合は横で、既に破水している。)であった。ひとみは、八時〇〇分に第二分娩室に入室し、子宮内圧計と児頭に心電計を装着された。

(三) 八時一五分

直接児頭に心電計が装着された。ひとみの内診所見は、子宮口開大五cm、頚管の展退度一〇〇%、矢状縫合一〇時〜四時(大泉門一〇時、小泉門四時)、先進部頭頂、産瘤プラス、ステーション・プラスマイナス○、恥骨結合後面全触であり、内診診断は、頭頂、入口部固定、横、既破水で、医師の意見、処置は経過観察であった。なお、ひとみは、八時四五分、胃液様のものを少量嘔吐した。

(四) 九時一〇分

内診所見は、子宮口開大七cm、頚管の展退度一〇〇%、矢状縫合一〇時〜四時(大泉門一〇時、小泉門四時)、先進部頭頂、産瘤プラス、ステーション・プラスマイナス〇、恥骨結合後面全触であり、内診診断は、第一頭頂、高在、斜(胎向は第一、先進部は頭頂点で、児頭最大周径は骨盤入口面を通過し、矢状縫合は斜である。)、既破水で、医師の意見、処置は経過観察であった。

(五) 九時三〇分

内診所見は、子宮口開大九cm、頚管の展退度一〇〇%、矢状縫合一〇時〜四時(大泉門一〇時、小泉門四時。八時一五分から九時三〇分まで、矢状縫合は右回りに動いた。)、先進部頭頂、産瘤プラス、ステーション・プラスマイナス〇、恥骨結合後面三分の二触であり、内診診断は、第一頭頂、高在、斜、既破水で、医師の意見、処置は経過観察であった。

(六) 一〇時〇〇分

内診所見は、子宮口開大一〇cm(全開大)、矢状縫合九時〜三時(大泉門九時、小泉門三時)、先進部頭頂、産瘤プラス、ステーション・プラス一、恥骨結合後面三分の一触であり、内診診断は、第一、頭頂、高中在、横、既破水で、医師の意見、処置は経過観察であった。

(七) 一〇時〇五分

会陰部に局部麻酔をかけた。また、このころ、胎児に早発性一過性徐脈(陣痛とほぼ同時に始まり、陣痛の終了と同時か、少し早く回復する徐脈で、心拍数最小点は陣痛のピークとほぼ一致するもの。陣痛波形と徐脈の形は対称型で、従来は児頭圧迫による生理的なものとされていたが、一時的な臍帯血行障害でも出現するといわれている。)が認められた。

(八) 一〇時一五分ころ

ひとみに酸素吸入四リットルを一五分間行った。

(九) 一一時〇五分

矢状縫合は横で、児頭の下降は期待どおりに進まない状態であった。

(一〇) 一一時二八分から二九分ころ

胎児の心音の低下が四分以上続き、最下点も六〇以下となり、高度変動性徐脈(徐脈の持続時間が六〇秒以上で、かつ心拍数最下点が六〇未満のもの)が出現したので、日野医師は、他の医師に応援を依頼した。

(一一) 一一時三二分

内診所見は、子宮口開大一〇cm、矢状縫合八時〜二時(大泉門八時、小泉門二時)、先進部頭頂、産瘤プラス、恥骨結合後面ほぼ不触であり、内診診断は、第一、頭頂、中在、斜、既破水で、総合診断は胎児仮死であった。FHR(胎児心拍数)は八〇ないし九〇に低下し、一分以上回復せず、ステーション・プラス1.5であった。そして、日野医師は、右側会陰を切開した後、ネーゲル鉗子の左葉を三時ないし四時の方向に、右葉を九時ないし一〇時の方向にそれぞれ挿入して両葉を合致させ、試験牽引を行ったが、鉗子は滑脱しなかった。その後、陣痛開始を待って、意図的な回旋を加えることなくⅠの方向(下方)に牽引したところ、抵抗はあったが、児頭は自然に回旋しながら下降した。そして、胎児の後頭結節が恥骨結合を通過し、Ⅱの方向(水平方向)に鉗子を牽引中に鉗子が滑脱した。この段階では、児頭が完全に娩出しておらず、ほぼ発露(陰裂間に現れていた胎児先進部が、陣痛間欠時にも後退せず露出している状態)の状態であったが(本件の発露は一一時三五分)、貞永医師がクリステレル法によって圧出した結果、児頭が娩出した。このようにして児頭が娩出したものの、躯幹が娩出しなかったため、まず、助産婦の中村和代(以下「中村助産婦」という。)が普通の力で児頭を押し下げて前在肩胛(本件では胎児の右側肩胛が母体の前面を向いている状態)を解出しようとしたが、解出できなかった。そのため、日野医師が右側会陰切開を拡大するとともに、左側会陰切開を追加し、中村助産婦、日野医師のいずれかが再度解出を試みたものの、やはり解出できなかった。そのころ、分娩室に到着した松岡医師が、両側会陰切開の拡大を指示したが、なおも解出できなかった。そこで、松岡医師自身が両側会陰切開を拡大した上、児頭を母体の後方に圧下してみたが、児の前在肩胛が恥骨に引っ掛かって娩出しなかったため、いったん児頭を子宮方向に押し戻したところ、恥骨結合と前在肩胛との間に僅かに隙間が生じたので、そこに指を挿入し、それと同時に貞永医師がクリステレル法を行った。すると、前在肩胛が恥骨結合から少しずれたので、松岡医師は、指を抜いて、直ちに、児頭を通常よりはやや強い力で母体の後方に圧下したところ、前在肩胛がはずれ、次いで、後在肩胛を母体の前方に圧し上げながら児を前上方に引いたところ、躯幹全体が娩出した。

(一二) 一一時四〇分

児(原告)が娩出した。新生児の生後の状態をあらわすアプガースコアは三点で、仮死Ⅱ度であった。このため、出生後、直ちに気管内挿管による蘇生を行って小児科に入院させた。右入院直後の原告の身体測定値は、体重四二五七g、身長49.8cm、頭囲35.7cm、胸囲37.6cmであった。また、原告の児頭には、頭蓋内血腫等の損傷はなく、鉗子圧痕もなかった。

2  まず、本件分娩が肩胛難産であったか否かにつき検討するに、前記1の認定事実に、前記争いのない事実によれば、原告の児頭娩出後、中村助産婦による通常の肩胛解出術によっても肩胛が解出できず、日野医師と松岡医師が前後数回にわたって会陰切開を加えた上で、貞永医師によるクリステレル法を併用しつつ、肩胛解出術が行われた結果、ようやく原告を娩出することができたものであり、時間的にも、児頭娩出から胎児全体の娩出までに数分間もの長時間を要している上、出産直後の原告の頭囲が35.7cm、胸囲が37.6cmで、肩胛部が頭囲より大きかったことをも併せ考慮すれば、本件分娩は重度の肩胛難産であったと解すべきである。

3  そこで、日野医師及び松岡医師の医療行為と本件分娩麻痺との因果関係の存否について検討する。

まず、原告は、本件分娩麻痺が鉗子分娩による児頭の牽引によって発生したと主張するので、判断するに、前記1で認定した日野医師が鉗子分娩を開始する直前における児頭の矢状縫合の位置、児頭先端の下降度、鉗子の両葉の挿入方向、児頭が自然に回旋しながら下降した状況、分娩直後の児頭には、頭蓋内血腫等の損傷や鉗子圧痕がなかったことからすると、本件のように、児頭の矢状縫合が斜の場合で、特に回旋を加えることなく鉗子を下方へ牽引したことが、胎児の頚部に本件分娩麻痺を発生させるほどの伸展を生じさせたとは解されない(なお、ひとみは、その本人尋問において、本件鉗子分娩の際、分娩台で相当強く引っ張られた旨供述するが、前記児頭の下降状況と、分娩後の児頭に前記損傷や鉗子圧痕が認められないことからすると、右供述をもって、本件分娩麻痺の原因が、鉗子分娩の際の児頭の牽引にあるとまで解するのは相当でない。)。

さらに、原告は、本件分娩麻痺が前在肩胛解出のために行った児頭の圧下によって発生したと主張するので、判断するに、前記1で認定した児頭娩出後の松岡医師による肩胛解出術の実施状況と、前記2で判示したとおり、本件分娩が重度の肩胛難産であること、松岡医師自身も、肩胛解出術によって本件分娩麻痺が発生した可能性を肯定する旨の証言をしていることを併せ考慮すれば、本件分娩麻痺は、松岡医師が、肩胛解出術を施行中、児頭を母体の後方に向けて圧下したため、児頭が左側に牽引され、頸部を左方向に伸展させた結果、発生したと解するのが相当である。

二  松岡医師の診療行為における過失の有無について

1  肩胛難産の場合における医師の注意義務

(一) 肩胛難産の治療法としては、「プリンシプル産科婦人科学」(乙二五の5)によれば、「①まず指を膣内にできる限り深く挿入し、胎児の頸部、胸部に腫瘤や奇形などの異常のないことを確認し、また、絞窄輪の有無を調べる。②十分な会陰切開を加える。③助手に子宮底部を強く押させながら頭部を後方に圧下させて、前在の肩胛の娩出を図る。しかし、頭部の圧下は頸部神経叢の損傷をまねくのであまり強く行ってはならない。④この操作が無効であったら、これに固執することなく、Woodのscrew maneuverを試みる。すなわち、助手に胎児の殿部のある部の子宮底を圧下させながら、術者は右手の二指を後在の肩胛部の前面にあて、第二頭位では時計方向に回すように圧を加える(第一頭位の場合は反時計方向)。このようにして一八〇度回転させて、後在の肩胛を一二時の位置に移動させると肩胛が娩出される。次に、新たに後在となった肩胛に二指をあて、今度は反時計方向に回転させ、一二時の位置にして肩胛を娩出させる。⑤この方法が不成功の場合は膣の仙骨側から手を挿入し、児の後在の全腕をつかみ、胸部の前面を拭うようにして娩出させ肩胛も娩出させる。しかし、この操作を行うと鎖骨骨折をまねきやすく、また、上腕骨の骨折もきたしやすい。⑥以上の方法を用いても肩胛の娩出が不可能ならば、最後の手段として、鎖骨を骨折させて娩出させる。」とされている。また、「産科学(正常編)」(乙一七の2)によれば、前在肩胛が恥骨結合下縁に支えられて娩出が遅延するときには、「①まず左手で児頭を後下方に圧して前在肩胛を娩出させ、次いで右手で会陰を保護し、後在肩胛を前上方に圧し上げながら左手もこれに同調し、児頭を下から前上方に抱き上げれば後在肩胛が容易に娩出する。②さらに娩出困難なときは児背から後在肩胛と異名側の示指を後在腋窩に挿入し、肩胛を把持して静かに後下方に引けば前在肩胛は恥骨結合を脱し恥骨弓下に現れる。次いでさらに前上方から牽引すれば後在肩胛は会陰を超えて滑脱する。③さらに効のないときは両側腋窩に示指をかけて同一要領で娩出させる。」とされている。さらに、「綜合産科婦人科学」(乙二一の3)によれば、「①児頭を背側から両手で挟み、中指と示指を児の項部及び下顎骨にあてる。まず後下方に向かって牽引すると前在肩胛が恥骨弓下より娩出する。次いで前下方に牽引すると、後在肩胛が娩出する。②以上によっても娩出が困難な場合には、後在肩胛と異名手の示指を、児背から後在腋窩に挿入して鉤型にかけ、徐々に後下方に牽引すると、前在肩胛が恥骨弓下に現れるから、前在腋窩にも他手の示指をかけ、両手の間に児頭を挟みながら、両手で母体の前下方に牽引娩出する。③もし肩胛が高所にあって指を腋窩に挿入できないときは、両手で側頭部を挟んで持ち、注意して後下方へ十分に圧し下げると、前在肩胛が恥骨弓下に現れるので、この前在肩胛を娩出させ、次いで前下方へ圧しあげると、後在肩胛が娩出する。」とされている。以上によれば、肩胛難産の場合の娩出方法としては、まず、児頭を後下方へと圧下させて前在肩胛の解出を図り、それが困難な場合に、膣内に指を挿入して肩胛部自体ないし腋窩を動かすことによって前在肩胛の解出を図るものであることが認められる。

(二) ところで、肩胛難産における肩胛解出の際には、肩胛が恥骨にかかり、児頭が対側に強く牽引されて、腕神経叢麻痺が生じることが多い(乙二九の2)のであるから、肩胛解出術の施行に際しては、このような分娩麻痺の発生を回避するため、児頭の圧下を強く行ってはならない(争いがない。)。したがって、肩胛解出術を実施する医師としては、前在肩胛の解出を図るため、児頭を後方へ強く圧下すれば、頸部の過伸展を生じ、これによって、児に対し神経叢麻痺の障害を負わせることを予見すべきであり、児頭の強い圧下を避けるべき注意義務があるというべきである。

2  松岡医師の過失の有無

(一) 一般に、児頭娩出後、躯幹が娩出できない状態では、臍帯からの血行が乏しい上、児の自発呼吸も望めず、娩出が遅れると、児は死亡するか、何らかの精神、神経性の機能異常の障害を残す恐れがあり、分娩経過中で最も危険な状態であって、直ちに娩出させる必要があると認められるところ(甲二一、証人日野修一郎)、本件は、前記一2で判示したとおり、重度の肩胛難産であり、松岡医師が分娩室に駆けつけた時点では、原告は、顔面の高度のうっ血と、口唇のチアノーゼが認められ、胎児仮死が相当進んでいる状態にあって、同医師は、児が助からないかもしれないと感じたほどであったから(乙三一、証人松岡良)、同医師としては、児の死亡ないし他のより重篤な後遺障害の発生を避けるために、一刻も早く原告を娩出する必要があったと解される。もっとも、たとえ胎児が仮死状態にあった場合においても、前記二1(一)の各文献に記載されている手順を無視していきなり児頭を強力に圧下することは許されず、まず最初は抑制された強さで圧下し、効果がなかった場合にはスクリューマヌーバー等の他の方式を試みるべきであり、いずれの方式も効果のない場合に、最後の手段として児頭の強力な圧下や鎖骨を骨折させて娩出させることが許されるというべきである。

(二) これを本件についてみるに、松岡医師は、前記一1(一一)で認定したとおりの手順を踏んで児を娩出させている上、同医師が児頭を子宮方向に押し戻して児と膣との隙間を作る前には、膣内に指を挿入することはできず、指を挿入した後も、指の第一関節から第二関節の間くらいしか入れることができず、ようやく児の肩の先端に届いた程度であったのであるから(乙三一、証人松岡良)、児の腋窩に指を掛けて引き出す方法や、児を回旋させて娩出する方法を取ることは不可能であったと解される。そうすると、松岡医師は緊急な状況の下で、可能な限り手順を踏んで児を娩出させているのであり、肩胛解出術の最後の段階で、児頭を通常より強い力で圧下したことは、児の死亡等を避けて早期に娩出させるためのやむを得ない措置であったと解されるので、同医師に過失はなかったというべきである。

三  日野医師の診療行為における過失の有無について

1  鉗子分娩選択に際しての医師の注意義務

(一) 肩胛難産の予測について

(1) 巨大児と肩胛難産について

日本では、出生時の体重が四〇〇〇g以上の児を巨大児と定義しており、巨大児は、通常児に比べ、肩胛難産になる頻度が増加する(争いがない。)。そこで、医師として肩胛難産を予測した上で帝王切開選択の判断をすべきかという観点から、巨大児であること、すなわち出生時の体重が四〇〇〇g以上であることを肩胛難産の予測因子とすべきか否かにつき検討する。

証拠(甲九の2、二〇、二一、乙二五の5、三五の6、証人日野修一郎、同松岡良)によれば、以下の事実が認められる。

巨大児の場合における肩胛難産の原因は、巨大児は肩胛、胸郭の発育が良好で、頭囲より肩胛周囲の方が大きい傾向があり、母体の骨盤出口部に比べ児の肩胛周囲の方が大きいと、児頭は娩出されても肩胛の娩出が困難となることにあるほか、巨大児は骨格が発達していて軟らかいはずの関節系に弾力性が欠けていることも、その一因となっている。一般に、分娩全体の中で肩胛難産が発生する頻度は0.37%程度と極めて低く、その中でも実際に腕神経麻痺を生ずるのは0.1%前後であり、右麻痺も多くは一年で消失するが、出生時の体重が四〇〇〇gを超えると1.7%、四五〇〇g以上では約一〇%の頻度で肩胛難産が発生する。現在の超音波診断装置を用いても、胎児の肩幅と骨盤出口部との不均衡の有無を正確に診断し、肩胛難産を未然に防ぐことはできないのが現状であり、肩胛難産が発生した場合に的確な介助(肩胛解出術)をすることが肩胛難産に対する具体的な管理法である。そして、肩胛難産が発生した場合でも、通常は肩胛解出術により問題なく分娩がされている。また、帝王切開は、母体の侵襲が大きく(麻酔による危険、切開によるかなりの出血、術中、術後の合併症、術後の腸管の癒着など)、また、これによって、母体の産褥期の回復が遅れ、授乳が困難になったり、不妊、次回分娩時の子宮破裂等の可能性があるため、安全な手術とはいえず、経膣分娩が安全に果たされるならば、帝王切開の濫用は避けるべきである。

右に認定した胎児の体重と肩胛難産の発生頻度、肩胛難産の場合における腕神経叢麻痺の発生率と右麻痺の存続期間、帝王切開の母体に及ぼす影響からすると、医師としては、巨大児(四〇〇〇g以上)であることを予測したとしても、前回の出産時に肩胛難産が発生したこと等の、今回の出産においても肩胛難産が発生する可能性が高い特段の事情のない限り、右予測に基づいて直ちに肩胛難産が発生するものとして帝王切開を選択すべき義務があるとはいえないが、児の推定体重が四五〇〇g以上である場合には、肩胛難産の発生頻度がかなり高くなることから、他に肩胛難産の発生を否定するに足りる具体的な事情が認められない限り、帝王切開を選択する義務があると解するのが相当である。

(2) 骨盤中位からの急速遂娩と肩胛難産について

昭和四一年に「産婦人科の実際」に掲載された「肩の娩出困難(Shoulderdystocia)」と題する論文(甲二一)には、Swartzが三一例の肩胛難産について分娩様式を調べたところ、自然分娩が一二例、下部または出口部鉗子が一一例、中位鉗子が八例であったことから、児の位置が高いうちに鉗子をかけることは、肩が残り、その娩出を困難にさせるのではないかという点を考慮する必要がある旨の指摘がなされているほか、肩胛難産の発生機序に関し、子宮底上方からの圧迫や下方への牽引は肩胛と胸郭を強く骨盤入口部に篏入させる傾向を助長する旨記載されており、右論文掲載当時から、中位鉗子による肩胛難産の発生の可能性が知られていたことは認められる。もっとも、右論文においても、その当時、肩胛難産を事前に予測できるとは考えられておらず、肩胛難産発生後の問題に限定して対応策を記載しているだけで、中位鉗子による分娩を避けるべきである旨明言しているわけではない。その後、平成二年に社団法人日本母性保護医協会が発行した「産婦人科医療事故防止のために」と題する書籍(甲二〇)の中で、肩胛難産のハイリスク因子として、骨盤中位からの急速遂娩が明確に指摘されているが、他方、平成三年四月発行の「プリンシプル産科婦人科学・産科編」(甲一九の1ないし6、乙二五の1ないし6)、同年一〇月に「産科と婦人科」に掲載された「産科婦人科領域における医学管理のあり方」と題する論文(甲九の2)、右協会が昭和六三年に発行した「産婦人科医療事故防止のために・改定版(下巻)」と題する書籍(乙四四の3)には、いずれも中位鉗子による分娩を避けるべきであるとの記載はなく、また昭和五六年に発行された「医師国家試験のための産婦人科重要用語事典」と題する書籍(甲二七)には、巨大児などを基礎的な発生要因とし、鉗子分娩、吸引分娩、骨盤位牽引術などの産科手術操作によって分娩時外傷が生じることが多い旨記載されているが、これも骨盤中位からの鉗子分娩につき明確に述べたものではない。そうすると、本件当時、骨盤中位からの急速遂娩が肩胛難産のハイリスク因子となることが、産科医一般が当然に認識しておかなければならない医学的知見となっていたとは解されない。

(二) 鉗子要約等について

(1) 鉗子適位について

「最新産科学・異常編」と題する書籍(甲七の6)には、鉗子遂娩術を実施する際の要約(要件)の一つとして、児頭が鉗子適位にあること、すなわち、①児頭が骨盤出口部まで下降し、②矢状縫合が骨盤縦径に一致していることが掲げられている。

しかし、まず、矢状縫合と骨盤縦径との関係については、前記「プリンシプル産科婦人科学・産科編」(甲一九の5)には、中位鉗子の場合、「矢状縫合斜・横では技術的にやや難」であると記載され、「日本産科婦人科学会雑誌・四五巻三号」に掲載された「鉗子分娩・吸引分娩」と題する論文(乙二六の3)には、中位鉗子では矢状縫合が前後径に一致していないことが多く、高度な技術を要する旨記載されており、さらに、実際の臨床においても、矢状縫合の向きにかかわらず、骨盤横径に合わせて鉗子を装着する方法(骨盤装着法)も行われている(証人松岡良)ことからすれば、矢状縫合が骨盤縦径に一致していることが鉗子分娩を実施する際の要約であるとは解されない。

次に、児頭が骨盤出口部まで下降していることを要約とすべきか否かに関してみると、前記「プリンシプル産科婦人科学・産科編」では、古典的な鉗子適位は児頭最大周囲が骨盤入口を通過している状態とされているが、鉗子適位は医療の進歩に対応して変更されるべきであるとし、鉗子適位の分類として、児頭最大周囲径の位置が入口部(目安としてのステーション〇未満)及び闊部(同〇ないしプラス一)にあるものを「高位鉗子」、棘間径またはそれ以下にあるもの(同プラス二)を「中位鉗子」、棘間径以下(峡部)(同プラス二以上)にあるものを「低位鉗子」、出口部にあるものを「出口鉗子」とし、「高位鉗子」のうち入口部にある場合は「非適位」、闊部にある場合は「難」で「熟達者にのみ可」、「中位鉗子」は「原則として安全」で「可」、「低位鉗子」及び「出口鉗子」は「安全・容易」で「初心者にも可能」している。また、前記「医師国家試験のための産婦人科重要用語事典」では、現在行われている鉗子分娩は低位鉗子(児頭の最大周囲径が坐骨棘間径を過ぎ、先進部がステーションプラス二以降の場合)が大部分であり、中位鉗子(闊部鉗子。児頭は骨盤腔に進入しているが、坐骨棘が触れ、骨盤闊部にある場合で、先進部がステーション〇からプラス二である場合)は少なくなってきているとし、結局、鉗子適位としては、児頭の最大周囲径が小骨盤腔に進入しており、先進部の高さがステーション〇又はそれ以下にある場合であると記載され、「綜合産科婦人科学」と題する書籍(乙一五の2、一九の3)では、児頭が骨盤闊部もしくはそれ以下に下降していることが要約であり、鉗子分娩は、できる限り児頭が下降してから行うのが安全であると記載されている。さらに、前記「日本産科婦人科学会雑誌・四五巻三号」の「鉗子分娩・吸引分娩」では、鉗子分娩の要約として、先進部が骨盤狭部面を越えていることを挙げ、中位鉗子は先進部がプラス二より高位にあり、矢状縫合が前後径に一致していないことが多く、鉗子による回旋を要し高度な技術を要すると記載され、「胎児管理マニュアル」と題する書籍(甲二三)では、鉗子適位として、児頭が骨盤峡部以下にあることを挙げ、鉗子をかければ軽い牽引によって容易に娩出される状態でなければならないと記載されている。以上を総合すれば、児頭が骨盤出口部あるいは骨盤峡部以下にある場合に鉗子分娩を実施することは、安全性が高いが、児頭が骨盤闊部にある場合に中位鉗子を行うことは、技術的に困難であって、最近では実施例が少ないものの、一般に禁忌とされる高位鉗子と異なり、中位鉗子の実施そのものが禁止されているとはいえず、また、熟達者でない者によって実施することが一切禁じられているとまではいえない。

したがって、児頭が骨盤出口部まで下降し、矢状縫合が骨盤縦径に一致していることが、鉗子遂娩術の要約の一つであるとは解されない。

(2) ネーゲル鉗子の使用について

ネーゲル鉗子は、児頭を挟む部分である匙部が骨盤誘導軸に対応する彎曲となっており、児頭が骨盤出口部にあるとき使用され、キーランド鉗子は、骨盤彎曲がなく、児頭の回旋に適しており、児頭が骨盤闊部にあるとき使用されるのが普通であるが(甲七の6、八の13)、実際には、術者自らの経験により使い慣れたものを用いるべきであるとされており(甲一九の5)、また、中位鉗子の場合にネーゲル鉗子の使用を禁忌とする文献は見当たらないので、中位鉗子の際にネーゲル鉗子を用いるべきでないとまではいえない。

2  日野医師の過失の有無

(一) 日野医師は、前記一1(一一)で認定したとおり、ステーション・プラス1.5、矢状縫合八時〜二時(大泉門八時、小泉門二時)の時点で、鉗子の左葉を三時ないし四時の方向に、右葉を九時ないし一〇時の方向にそれぞれ挿入し、陣痛開始を待ってⅠの方向(下方)に牽引したものであるところ、右鉗子分娩は、前記三1(二)(1)で判示したとおり、鉗子要約に違反したものではない上、前記一3及び二で判示したとおり、本件分娩麻痺は、同医師が鉗子分娩術を施行した際の児頭の牽引によるものではなく、松岡医師が肩胛解出術を施行した際に生じたもので、同医師に過失はないから、日野医師が帝王切開によらず鉗子分娩を選択した点についての過失の有無が問題となる。この点については、前記三1(一)(1)で判示したとおり、原告の推定体重が四五〇〇g以上であった場合、日野医師は、他に肩胛難産の発生を否定するに足りる具体的な事情が認められない限り、帝王切開を選択すべきであったところ、同医師は、原告の体重が四〇〇〇gを超えることはないであろうと考え、経膣分娩が可能であると判断して帝王切開を選択せず、さらに、分娩中に胎児仮死の徴候が現れた後も、帝王切開を選択せずに鉗子分娩を選択したものであるが、このように同医師が帝王切開を選択しなかった点に過失があるか否かにつき検討する。

(二) 巨大児の予測

(1) 超音波計測値を用いた児体重の推定

証拠(甲一九の2、乙一の7、9、二の3、三一、三二の4、四〇の3、四三、証人日野修一郎、同宮村研二、同松岡良)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

超音波断層法による超音波計測値を用いた児体重の推定は、初期の頃は、一般に低体重の児は実際より重く、体重の重い児は実際より低く推定される傾向があった。しかし、現在東京大学で用いられている推定式1.07×BPD3+2.91×APTD×TTD×SL又は1.07×BPD3+3.42×APTD×TTD×FL(BPD児頭大横径、APTD躯幹前後径、TTD躯幹横径、SL脊椎長、FL大腿骨長)ではその偏りが是正されており、誤差が少ない。本件病院では、以前、児体重の推定式として、当時広く使われていたAPTD×TTD×40−244を使用していたが、実際の出生体重に比して推定体重の方が大きめの値が出る臨床例が多かったことから、より正確な値を得るため、「四〇」を「週数」に置き換えた推定式APTD×TTD×週数−244に改良し、本件分娩当時も右改良方式を使用していた。これによって、本件病院では推定体重よりも出生体重の方が大きい症例は余りなかった。

右認定事実によれば、本件分娩当時、本件病院で採用されていた右推定式が不合理であったとは解されない。

証拠(乙一の9、15、二の3)によれば、本件における原告のAPTDとTTDの計測値及び推定体重は、次のとおりである(なお、昭和六〇年一二月二〇日には、APTD10.8cm、TTD10.9cmと計測されているが、証人宮村研二、同日野修一郎の各証言によれば、右同日の計測値の正確性には疑問があるので、これによって原告の児体重を推測するのは相当でない。)。

年月日(妊娠週日)

APTD TTD 推定体重

(cm)  (cm)  (g)

(昭和六〇年)

九月一二日(二三週五日)

5.8  5.3

一〇月一五日(二八週三日)

7.7  6.8

一〇月二九日(三〇週三日)

7.7  8.3

一一月一二日(三二週三日)

8.7  8.9

一二月一三日(三六週六日)

10.1  9.5 三三〇八

一二月二七日(三八週六日)

10.9  9.7 三八六九

(昭和六一年)

一月 八日(四〇週四日)

9.9 10.3 三八八五

右認定事実によれば、本件における原告の推定体重は、昭和六一年一月八日に算出した三八八五gであったと解される。そうすると、右推定体重は、原告の出生時体重四二五七gより三七二g少なく、誤差率は約8.7%であるが、現在東京大学で用いられ、本件病院でも現在採用されている前記推定式によれば、原告の推定体重は、一二月二七日の計測値では三三六四gとなり(1.07×9.23+3.42×10.9×9.7×7.0≒3364)、原告の出生時体重より八九三g少なく、誤差率は約二一%であることから、本件当時に本件病院で採用されていた前記推定式の方が原告の推定体重との関係では、より適切であったことになる。

ところで、巨大児の特徴として、児頭はそれほど大きくなくても躯幹が大きいことがしばしばあるから、躯幹断面積(APTD×TTD)の測定が重要である(甲九の2)。これを原告についてみると、前記認定の昭和六〇年一二月二七日(妊娠三八週六日)における計測値に基づく躯幹断面積は105.73cm2(10.9×9.7=105.73)、昭和六一年一月八日(妊娠四〇週四日)は101.97cm2(9.9×10.3=101.97)であったが、本件当時のカルテに記載された躯幹断面積の標準発育曲線の上限値は、三九週で約一〇〇cm2、四〇週で約一〇二cm2であり(乙一の7)、現在標準的に用いられている標準発育曲線の上限値は、三九週で約一〇三cm2、四〇週で約一〇五cm2であることから(乙三〇の3、三二の4)、原告の躯幹断面積は標準よりも大きめではあったが、正常範囲内であったと解される。なお、躯幹断面積の正常値を妊娠三九週で80.1cm2プラスマイナス8.5cm2、四〇週で83.6cm2プラスマイナス8.5cm2とする見解もあるが(甲九の2)、同見解によって、直ちに右判示を左右するのは相当でない。

(2) 子宮底長、腹囲による予測

証拠(甲九の2、証人日野修一郎、同松岡良)によれば、以下の事実が認められる。

子宮底長や腹囲は、児の胎位、胎勢や妊婦の腹壁の厚さ、子宮壁の厚さ、子宮の緊張度、羊水の量、計測者の個人差等によって大きく左右されるため、児の大きさを測定するための指標としては客観性に乏しく、超音波断層法による計測の方がより正確である。もっとも、子宮底長や腹囲の値が大きかった場合には、児が大きいことを想定して超音波断層法による精査を積極的に行うことの目安となる。

右認定事実に、前記三2(二)(1)で認定したところによれば、本件では、超音波断層法による計測が実施されているのであるから、子宮底長、腹囲による巨大児の予測の適否を検討する必要性は存在しないというべきである。

(3) 妊娠時の耐糖能異常等

証拠(甲七の2、八の10、九の2、一九の3、二〇、乙一の9、13、三六の3、証人日野修一郎)によれば、以下の事実が認められる。

妊婦に尿糖が見られる場合は、大別して、①糖尿病合併妊娠(糖尿病に罹患している女性が妊娠したもの)、②妊娠糖尿病(妊娠によって一過性に発現した耐糖能異常)、③妊娠性糖尿あるいは妊娠性尿糖(妊娠時に腎の糖排泄閾が低下して、血糖値は正常であるにもかかわらず、尿糖の見られるもの)の三つがある。一般に、妊婦の糖尿病や耐糖能異常は巨大児の原因の一つと考えられている。ひとみは、昭和五八年九月二〇日に山本産婦人科医院で第一子を出産したが、右妊娠時の尿糖は、プラスマイナスが三回、プラスとツープラスが一度ずつであった。本件では、昭和六〇年五月一八日から昭和六一年一月八日までの間に、尿糖に異常(ツープラス)が見られたのは、昭和六〇年一二月二七日の一回だけであるが、その後、念のために行った血糖検査によっても、血糖値はいずれも正常で、耐糖能異常を疑う所見は認められなかった。

右認定事実によれば、右尿糖異常は一過性の妊娠性尿糖であり、これが巨大児が発生する原因になったとは解されない。

(4) 体重増加

証拠(甲九の2、乙一の9、二の13、証人松岡良)によれば、以下の事実が認められる。

母体の急激な体重増加も、胎児発育を推定する根拠の一つとされるが、右増加が必ずしも巨大児につながるわけではなく、むしろ、医師としては、このような急激な体重増加が認められた場合、主に妊娠中毒症の危険性を念頭に置いて、妊婦に対する指導、観察を行う。ひとみの体重は、昭和六〇年八月一二日(妊娠一九週二日)から九月一二日(妊娠二三週五日)までの一か月間に四㎏(一週間当たり約九〇〇g)、一〇月一五日(妊娠二八週三日)から一〇月二九日(妊娠三〇週三日)までの二週間に1.5㎏(一週間当たり七五〇g)それぞれ増加したが、その後、一一月一二日(妊娠三二週三日)までの二週間に0.5㎏減少した。ひとみの体重は、非妊時が五〇㎏、昭和六〇年五月三一日(妊娠八週六日)が五一㎏、昭和六一年一月一〇日(分娩当日・妊娠四〇週六日)が61.8㎏であり、非妊時に比べて11.8㎏、妊娠初期に比べて10.8㎏のそれぞれ増加となっている。

右認定事実によれば、ひとみは妊娠期間中の一時期に急激に体重が増加したものの、妊娠前と妊娠後との右体重差をも併せ考慮すれば、一時期における急激な体重の増加をもって巨大児を予測すべきであったとは解されない。

(三) 分娩第二期遷延

証拠(甲八の2、二三、乙一九の3、三二の3、三三の3、三五の4、三八の3、三九の3)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

分娩遷延とは、何らかの原因によって分娩の進行が阻害されている状態であり、その要因の解明と今後の事態の推移の慎重な観察とが要求される状態である。経産婦の場合、分娩第二期の平均分娩持続時間は、おおよそ一時間ないし一時間半とされている。また、分娩第二期が二ないし三時間以上にわたる場合や、一時間半ないし二時間以上経過しても児頭の下降がみられないときは、鉗子分娩の適応になるとの見解、三時間経過しても児頭の下降がなければ、試験分娩の限界であるとの見解、子宮口全開大し、破水後であるにもかかわらず、二時間以上分娩の進行がみられない場合には、CPDプラスとして帝王切開を実施するとの見解がある。

右認定事実によれば、子宮口全開大後、少なくとも二時間以上経過した場合には、分娩第二期遷延というべきである。

さらに、分娩の進行状況については、ステーション、児頭の位置、矢状縫合の回旋状態、恥骨結合後面の触知の程度、頚管開大度等の内診所見を総合して判断すべきものであるところ(乙三二の5)、前記一1で認定した午前八時〇〇分から午前一一時三二分までの間におけるステーション、児頭の位置、矢状縫合の回旋状態、恥骨結合後面の触知の程度、頚管開大度の各値は、そのいずれかが変動しており、このことは、本件の分娩が徐々にではあるが進行していたもので、分娩停止ではなかったと解される。そして、前記一1で認定したとおり、日野医師が鉗子分娩を実施したのは、子宮口全開大となった午前一〇時からほぼ一時間半後の午前一一時三二分であり、本件が分娩遷延の状態にあったとは解されない。

(四) 証拠(甲一〇の1ないし5、乙一の7、9、15、二の2、13、四一の3、四二の3、証人日野修一郎、同松岡良)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

初産の場合、日本人の分娩持続時間の平均値は一二ないし一五時間である。ひとみは、昭和五八年九月二〇日に三七〇〇gの第一子を出産したが、分娩時間はおおよそ九時間で、分娩に異常な点はなかった。一般に、難産は初産婦に起こるものであり、経産婦の場合は、たとえ初産に難産であっても、次の出産の場合は、それと同じ大きさの児、あるいはそれよりかなり大きな児であっても、比較的速やかに遂娩することが多い。原告の児頭横径は9.2cmで正常範囲内であった。本件分娩開始前にザイツ(児頭が恥骨平面より高く突出している状態)がなく、児頭が骨盤内に嵌入し、本件分娩当日の午前九時一〇分には児頭の最大周径が骨盤入口面を既に通過していたことなどからCPDの存在が否定されていた。ところで、胎児仮死徴候が出現した後は、持続性の徐脈に移行する可能性が高く、そうなれば、児に脳障害等の後遺障害を発生させたり、最悪の場合は胎児死亡に至る可能性があるから、急速遂娩術により直ちに児を娩出しなければならない。急速遂娩術としては、吸引分娩と鉗子分娩の方法があるが、本件当時、本件病院では吸引分娩は行っていなかった。帝王切開は、手術の準備、麻酔、消毒、切開等で、児娩出までに少なくとも三〇分以上の時間を要する(なお、原告は、第一子の出産について、分娩開始時刻が明らかにされていないから、全体の分娩持続時間の算定も不可能であり、また、ひとみの供述によれば、分娩第二期に少なくとも四ないし五時間という平均の二倍の時間を要しているから、難産であったと主張するが、右主張は、前記証拠に照らして採用できない。)。

右認定事実に、前記三1、2で判示したところを併せ考慮すれば、本件において、原告が四〇〇〇g以上の巨大児であることは予測できなかったのであるから、日野医師が肩胛難産の発生を具体的に予見することは不可能であったと解され、同医師が経膣分娩が可能であると判断し、帝王切開を選択しなかったことが注意義務に違反していたとはいえず、また、同医師が分娩第二期後の胎児仮死徴候が現れるまでに、帝王切開を選択しなかったことにつき過失はなく、さらに、胎児仮死が発生した後も、原告を救命するためには鉗子分娩を選択するほかなかったから、結局、本件分娩において、同医師には、帝王切開を選択しなかった点につき過失はない。

第四  結論

よって、原告の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく、理由がない。

(裁判長裁判官安原清藏 裁判官高橋亮介 裁判官木太伸広)

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